『サムライ』 Le Samurai 1967年 フランス映画
監督 : ジャン=ピエール・メルヴィル
出演 : アラン・ドロン、フランソワ・ペリエ、ナタリー・ドロン、カティ・ロシェ
映画の冒頭、うす暗いジェフの部屋、窓の外は雨、こんな言葉が映し出されます。
サムライの孤独は他の誰の孤独よりも深い
同等に深いものがあるとすれば
森にいる虎の孤独だろう
武士道より、サムライに関する書
考えてみれば、1967年のフランス映画に、「サムライ」というタイトルがつくなんて(もちろん、原題もサムライのフランス語表示)すごいですよね~~~
へ~~武士道の中の言葉を引用しているんだ~~と感心していたら、どうやら、この言葉は、新渡戸稲造の武士道とは関係ないらしい!(と、どこかに書いてあった)
え~~~それって、著作権の侵害とかにならないのかしら?
私は、新渡戸稲造の武士道を読んだことがないので、まあ、なんとも言えませんが・・・
サムライといっても、「孤独な一匹オオカミ」なところがサムライなのでしょう。
アラン・ドロン演じるジェフは、孤独な殺し屋なのです。
トレンチコートに中折れ帽、帽子をかぶり、つばを指で横にすーっとなでるしぐさ、かっこいいですね~~~
この映画、雨のシーンが多いです。
冒頭のジェフの部屋でも、窓の外は大雨です。(波のような音が聞こえる)
アラン・ドロンが車を走らせるシーンでも、車のフロントガラス、サイドガラスに雨が打ち付けます。雨だれ越しのアラン・ドロンがまた素敵♪
ですが、不思議なことに、実際にはそんなには降ってないなくて、でも、ガラスには大量の雨が降っています。監督のこだわりなのかな?
この映画、一度見終わった段階で、私の頭の中は?だらけでした。
なんだかすっきりしないので、もう一度見ました(笑)
(ここから、ややネタバレありですので・・・)
まず、あの女性ピアニストは、なぜ嘘の証言をしたのか?つまり、なぜアラン・ドロンをかばったのか? アラン・ドロンがあまりに素敵だったから?
そして、アラン・ドロンはなぜ弾を込めていない拳銃を持ってピアニストの前に立ったのか?
白い手袋をしてあんなところに立っちゃ目立つじゃないか!?拳銃の弾を抜いたのはなぜ?
2回目の視聴は、この疑問の答えを探そうとじっくりじっくり見ました。
まずあの女性ピアニストですが、あの女性は殺しの依頼人とつながってたわけですよね。
もしアラン・ドロンが逮捕されれば、殺しの依頼人にまで捜査の手が伸びると考えたから?いや~~そこまで考えるかな・・やっぱりアラン・ドロンがあまりに素敵だったからじゃないかしら^^
そしてラストですが、依頼人と女性ピアニストがつながっていることを知ったアラン・ドロンですが、次のターゲットが自分(女性ピアニスト)であることを知らない彼女を憐れに思ったから弾を抜いたの?だったら、他の方法で助けてあげればいいものを、なぜあんな行動をとったの?
2回見ても、やっぱりわかりませ~~ん
この映画で好きなシーン、アラン・ドロンが、殺人の報酬を受け取ろうとしたとき、相手に殺されそうになり腕を怪我してしまいます。血でにじむコートを押さえアパートに帰り、ひとり傷の手当てをするシーン、バックにトランペットの哀愁漂うメロディが流れます。そして、アラン・ドロンの唯一の友、アラン・ドロンが飼っている小鳥ちゃんが、ぴー、ぴーと鳴くのです。
この小鳥ちゃんのおかげで、アラン・ドロンは、自分の部屋に侵入者があったことを知るのです。
この小鳥ちゃんは、アラン・ドロンの孤独を表しています。
そうそう、この映画で、アラン・ドロンは何度も腕時計で時刻を確認します。(完璧に仕事を実行するには時刻の確認が重要)普通、男の人って、手首の甲側に文字盤がくるようにつけますよね。
でも、アラン・ドロンは手首の内側に文字盤がくるようにつけてるんです。(女性は内側につけることが多いですよね)手首の内側を見て時刻を確認する姿が印象的でした。
同じジャン=ピエール・メルヴィル監督の『仁義』でも、アラン・ドロンは手首の内側に腕時計をしていたような記憶があります。これも監督のこだわり?それともアラン・ドロンのこだわり?
すっきりしない映画ではありますが(笑)次回放送されたら、また録画して観てしまいそうです。
うれしいですね
たくさん食べて大きくな~れ。
毎日楽しみですね。