緑の光線

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2010-09-07 (Tue)  13:50

「あまりに腹が立って泣きたいのなら」

フィソン著、『그래도 나는 ing』より。

前回記事を上げてから、かなり日にちが経ってしまいました・・・
フィソンがこの本を書いて、すでに一年以上経ってるはず。
この本を執筆してるときと、今とでは、考え方に、もしかしたら変化が起きてるかも
しれませんよね・・・・

せめて一年以内には読み上げたかったのですが・・・・

あ、記事は続けます。
始めたことを、途中で辞めてしまうのはあまり好きじゃないので。
最後まで頑張ります。



너무 화가나서 울고 싶다면
「あまりに腹が立って泣きたいのなら」

この章では怒りを原動力に変える!!ことについて話しています。

まず、企画会社を決める前に(多分デビュー前)、ある有名プロデューサーに会いにいき、
その人の前で、歌、ダンス、ラップを見せた時の挫折について書いています。

最善を尽くしたつもりなのに、返ってきた言葉は
「だめだというわけではないけど、ソロでやるんだったら100%だめだ」

そこまで言われるとは思っていなかったフィソンはがたがたと手が震えたそうです。
ですが、次の瞬間には、その怒りが、
「よし、俺が成功させて、必ず後悔させてやる」という強がりに変わるのです。

당시 나는 워낙 자학하는 습성이 있어 스스로 무시할 수는 있어도 다른 사람이 나를 무시하는 건
잘 참지 못했다. フィソン著、『그래도 나는 ing』より
当時、私はもともと自虐する習性があって、自分を無視することはできても、
他人が自分を無視することは、とても耐えられなかった。    訳:green


무시하다  → このまま訳すと、「無視する」ですが、
先日、あるドラマを観ていたら、무시하다 を 「見下す」と訳してました。
フィソンが使ってる무시하다も、「見下す」という意味合いの方が強いのかも・・・

나는 좌절하기보다는 그 분노를 동력으로 삼았다. 언제나 복수를 하겠다고 이를 갈았는데 그 복수는 다름 아닌 나중에 꼭 후회하게 해주겠다는 일종의 자기 다짐이었다. 절망 앞에서 사람의 선택은 둘 중 하나일 것이다. 절망을 껴안고 주저앉거나 절망을 딛고 앞으로 나가는 것 두 가지. 어떤 절암의 순간에도 주저앉는 것은 참을 수 없었으니 내 선택은 후자였다. フィソン著、『그래도 나는 ing』より
私は挫折するというよりは、その怒りを動力とした。いつも復讐するのだと歯ぎしりしたのだが、
その復讐は他でもなく後で必ず後悔させてやるという一種の自分の誓いだった。
絶望の前では人の選択は2つのうち1つだ。絶望を抱きしめ落ち込むか、
絶望を踏みつけて前に進むか、この2つである。どんな絶望の瞬間にも、
落ち込むことは耐えられなくて、私の選択は後者だった。 訳:green

ダンスチームでダンスを踊ってるときもやはりそうだったと言っています。
先輩達にひどい仕打ちを受けて、怒りが込み上げようとも、そんな表情は見せずに
ただ、負けたくない、自分にもこの状況にも負けたくない、その一心だったようです。
このような状況を辛抱する方法は、彼らに手本を見せて懲らしめようという気持ちで
生きることだったとか(時にはのろいながら)・・・・
これが、フィソンの生命の原動力だったそうです。

つまり、のろう人たちに肉体的、物理的な害を加えるのではなく、この上なく小心的な復讐。
後になって、自分が成功した後に、彼らが後悔すれば、この世で一番痛快な復讐になると。

ここで、オショー・ラジニーシという人が書いた本の中のエピソードがでてくるのですが、
「オショー・ラジニーシ」って一体誰??ということで、調べましたよ~~~
インド出身の宗教家のようですが、膨大な文献を残しているようです・・
(フィソンは、こういう本も読んでるのね)

で、そのエピソードとは、
様々な花を大きく美しく咲かせ、非常に有名になった庭師がいた。
人々が、花を美しく咲かせる秘訣は何かと、庭師に尋ねたところ、
庭師は、その秘訣は根にあると答えた。木に花が咲けば、数多くの花の中から、
何輪かだけを残して、残りの全てを切ってしまうのだ、すると、根は怒って、花をまるで
一箇所に集めるようにして、大きくて美しい花を咲かせるのだと。
つまり、秘訣と言うのは、結局、根を怒らせることなのだ
というもの。

フィソンの生き方もこれと同じだと言ってます。
自分の中の怒りを認めて、それをプラスに持っていくってことだよね。

フィソンが歌手発掘番組に審査委員として出演したとき、
フィソンの厳しい言葉に涙した参加者もいたそうですが、、
特に「物乞いはしないでください」구걸하지 마새요という言葉が
あまりにひどすぎる、という声もあったそうです。 
ですが、フィソンは彼等には本当に必要な言葉だったと言っています。
「もう一度・・・」と執着することが、彼らの音楽に対する情熱を覆ってしまい、大衆に
彼らの音楽を安価で容易に見せることになってしまいそうで気の毒だったたと。

情に流されて、安易に評価しても、その人のためにはならない、
厳しく客観的に判断してあげることが、彼らに最も必要なこと、ってことでしょうか。

フィソンも、誰かが「歌手で成功して、必ずフィソンに復讐しなければ」と決心してくれれば、
自分の意図は果たせたことになる、と言ってます。

フィソンは言います。他人より大きなものを得ようとするなら、より大きな怒りが内在していなければ
ならないと。

게임이나 소설, 만화 같은 걸 보면 가족이나 사랑하는 연인이 대마왕의 손에 죽은 후
그 분노로 마침내 대마왕을 이가는 이야기가 얼마나 많은가. 분노가 극에 달해야 피 토하는
훈련을 한 후 대마왕을 죽일 수 있는 것이다. 얼마나 극적인가. 죽이는 자가 즐기면서
평화롭게 대마왕을 죽이는 건 너무 심심해서 어디 몰입이나 할수 잇을까. 사람이 무언가를
이루려면 뭐든지 극젹이어야 하고 그 원동결은 바고 분노다. 이것이 바로 분노를 긍정으로
푸는 최선의 방법이 아닐까. フィソン著、『그래도 나는 ing』より
ゲームや小説、漫画のようなものを見ると、家族や愛する恋人が大魔王の手によって死んだ後、
その怒りでついに大魔王に勝つという話が、どれほど多いことか。怒りが極に達してこそ
血を吐く訓練をした後、大魔王を殺せるのだ。なんと劇的なことか。殺すものが楽しみながら
平和的に大魔王を殺すことはあまりに退屈で、どこかで没入でもするのではないか。人が何かを
成そうとすれば、何でも劇的であってこそ成せるし、その原動力はまさに怒りだ。これがまさに
怒りを肯定することで解く、最善の方法ではないだろうか。  訳:green

韓国ドラマで、よくテーマになるのは、「復讐」ですよね。
フィソンはゲームや漫画でそれを感じているようですが、
私は韓国ドラマを見ながら、その根底にあるのは「復讐心」だ~~~
と強く感じます。

これも、韓国でいう「恨」(한)の一種なのかな~~なんて思ったり・・・
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最終更新日 : 2019-06-08

No title * by green
内緒さん、
あえて厳しいことを言うっていうのは、勇気のいることだよね。
無難なことを言うのって、相手も自分も傷つかずにすむけど、それが本当に相手のためになってないこと、あるもんね。(私はまさしくこのタイプかも・・・)
そのときは、思いが通じなかったかもしれないけど、いつか、内緒さんの言葉を思い出して「そうだったのか・・・」って気づいてくれる日が来るかもよ!!

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No title

内緒さん、
あえて厳しいことを言うっていうのは、勇気のいることだよね。
無難なことを言うのって、相手も自分も傷つかずにすむけど、それが本当に相手のためになってないこと、あるもんね。(私はまさしくこのタイプかも・・・)
そのときは、思いが通じなかったかもしれないけど、いつか、内緒さんの言葉を思い出して「そうだったのか・・・」って気づいてくれる日が来るかもよ!!
2010-09-09-22:01 * green [ 編集 ]