緑の光線

Top Page › 『그래도 나는 ing』 › 「本物と偽物」
2010-10-22 (Fri)  09:18

「本物と偽物」

フィソン著『그래도 나는 ing』より。

진짜와 가짜 本物と偽物

フィソンが考える、「本物」と「偽物」について・・・

コンサートで歌を歌っていて、自分の歌を聞いて涙を流している観客を見たとき、
「本物なのだ」と感じるそうです。それはお金では買えない本物。
これは、宇宙が与えてくれた麻薬、だとも言ってます。

でも、それは歌を聴いてる方にも言えることだよね。
私達はお金を払ってCD買ったり、コンサートに行ったりしてるけど、
心熱くなるような、心震えるような、涙がこぼれるような歌や音楽にめぐりあえるということは、
これこそ、お金では買えないような貴重な体験・・・
本当に感動できるもの、それが本物だもんね。

나는 가짜가 되는 걸 참을 수 없다. 예를 들면 표절 같은 것은 가짜다. 돈을 벌 수는 있지만
돈 또한 진짜가 아니다. 돈은 인간이 만들어 낸 그냥 '어떤 것' 일 뿐이다. 인간이 편의로 만들어
낸 것들은 모두 가짜다. 진짜는 눈에 보이지 않는다. フィソン著『그래도 나는 ing』より
私は偽物になることには耐えられない。例を挙げるなら剽窃のようなものは偽物だ。
金は稼げるが、金はまた本物ではない。金は人間が作り出した、ただの「あるもの」にすぎない。
人間が便宜上作り出したものは全て偽物だ。本物は目に見えない。訳:green

표절を、辞書で引くと、「剽窃」。 
私、恥ずかしながら、日本語の「剽窃」の意味がいまいちわかってませんでした。
で、国語の辞書を引きましたよ~~
「剽窃」とは、「他人の論説や芸術作品(の一部)を無断で自分の作(の一部)として発表すること」
とありました。要するに「パクリ」ですね・・

本物は目には見えない。
そうだね~~星の王子さまも言ってたよね、大事なものは目に見えないんだよって・・・


とはいっても、若い頃には、目に見えるもの、つまり外見が気になります。
ダンスをやっていた頃は、服をどう着て出掛けるかが、最も重要。
フィソンはお父さんのトレーニングウェアを着てダンスのレッスンをしていたらしく、
いつも無視されてたとか。
当時付き合ってた彼女からは「あなたは、なんでこんなにお金がないの?」と小言を言われ
傷ついたりもしました。

でも今では物に対する欲があまりなく、欲しいものがあまりない自分に感謝しているそうです。

가수가 앞에서 슬픈 노래를 부르고 있는데 그게 마음으로 안 느껴지면 그건 가짜다. 노래하는
사람이 진심으로 느끼는 슬픈 감정이 그대로 사람들에게 전해지는 것, 그게 바로 진짜다. 그러려면 노래에 그 사람의 삶이 묻어나야 된다. 진짜로 느껴지는 몇몇의 대선배가 있다. 김광석, 김정호,
조용필...그들의 노래를 들으면 바로 가슴이 먹먹해지면서 조여 온다.フィソン著『그래도 나는 ing』より
歌手が前に立って悲しい歌を歌っていても、それが心で感じられなければ、それは偽物だ。
歌を歌う人が心の底から感じる悲しい感情が、そのまま人々に伝えられること、
それがまさしく本物だ。そうであろうとするなら、歌にその人の人生がにじみ出てなければ
ならない。本当に感じられる何人かの大先輩がいる。キム・クァンソク、キム・ジョンホ、
チョ・ヨンピル・・・彼らの歌を聞けばすぐに胸が詰まってくる。 訳:green

私はフィソンが歌っている姿を見ていると、(特に悲しい歌のとき)
「あ~~なんでこの人はこんなに悲しそうなんだろう、過去にどんな辛いことがあったんだろう、
悲しさのあまりに、倒れてしまんじゃないか」
という気持ちになってしまいます。
本当に駆け寄りたくなるの。

フィソンが歌うと、その歌の歌詞の意味が強く伝わるというか、歌詞の意味だけではなく、
そこに込められた(彼が現実に体験したかのような)気持ちや感情までが伝わってくる気がするのです。
だから、私にとっての本物はフィソンなのです。

ある意味、歌手って役者でもあるような気がします。
役者は演技をするとき、その役の感情をまるで自分が感じているかのように表現するでしょ。
歌手もやっぱりそうだよね。。。
でも、それをリアルに表現できるかどうかは、その人の「深さ」が関係するように思います。

目に見えるものは、誰でも勉強することができ、簡単に頭の中に放り込んで判断を下せても、
目に見えないものは、絶えず直接ぶつかってみてこそわかるものだ、とフィソンは言っています。
だからこそ、目に見えない本物を得ることは本当に難しいのだと。

음악을 아무리 세부적으로 니누어도 결국 교집합은 감동이다. 음악과 감동, 예술과 감동은
부등호가 아니라 바로 그 자체이다. 모든 예술은 표현이라는 기차를 타고 감둥이라는 도착지에
가는 것이 목표이다. 그러려면 가짜 기차를 타고서는 도착지에 도달하기가 어렵지 않을까?
진짜를 타고 가야 제 역에 내릴 수 있게지. フィソン著『그래도 나는 ing』より
音楽をいくら細部に分けても、結局交集合は感動だ。音楽と感動、芸術と感動は不等号ではなく
まさにそれ自体だ。全ての芸術は表現という汽車に乗って感動という到着地へ行くことが目標だ。
そのためには偽物の汽車に乗っては、到着地に到着することは難しいのではないだろうか?
本物に乗って行ってこそ、あの駅に降りることができるだろう。 訳:green

↑フィソンってば、ほんとに詩人・・・・
スポンサーサイト



最終更新日 : 2019-06-08

No title * by green
内緒さん、私のつたない訳で共感してもらえてとても嬉しいです。
もし、内緒さんとフィソンの対談が実現したら(笑)
私はふたりが話しているのを、横で真剣に聞いていると思います。
私も激しく妄想中!!

Comment







管理者にだけ表示を許可

No title

内緒さん、私のつたない訳で共感してもらえてとても嬉しいです。
もし、内緒さんとフィソンの対談が実現したら(笑)
私はふたりが話しているのを、横で真剣に聞いていると思います。
私も激しく妄想中!!
2010-10-23-21:46 * green [ 編集 ]