緑の光線

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2011-09-13 (Tue)  12:54

「どんな彷徨も両親の前で止まることを」

フィソン著 『그래도 나는 ing』より
 
WHEE SUNG'S STORY 05
길을 찾는 당신에게  道を探すあなたに
 
前回記事をあげてから、なんと2ヶ月が過ぎてる・・・・
こんなはずじゃ、こんなはずじゃ・・・・
夏休みが終わるまでに、コンプリートさせたかったのにな~~~
 
어떤 방황도 부모님 앞에서 멈추기를
「どんな彷徨も両親の前で止まることを」

 一時、両親を恨んだことがあった。幼い頃、そして思春期の頃は、他人より貧しい家庭と、
いつも言い争いをしている両親が恨めしかった。だが、貧しくて辛いのは私だけだったのだろうか?
事実、その頃、貧しさが、両親をより辛くさせていたのは確かだ。生計をつなぎ、子供達を
育てなければならなかったから。息子はいつも両親を恨むが、ある瞬間、両親にとって、長い歳月の
間、自分が負担だったのだということがわかった。それでも私は、それを他人より少し早くに悟った
ようで幸いだ。

 6ヶ月通った音楽学院を卒業してアルバイトを始めた。両親にもらったお金を使うのも嫌だったし、
社会経験もしてみたかったのだ。飲み屋のアルバイトだったが、本当に一生懸命働いた。
夜の8時に出勤して、明け方の4時に終わる仕事だったが、1人でサービスから皿洗いまで
すべてやらなければならなかった。最初は辛かったが、ある程度要領を得て、素早く食べ物を
運び、皿洗いに掃除までしながら、1人でかなり上手に仕事をこなせるようになった。
留学生たちが多く来る飲み屋だったが、悪行を働いたり、けんかをしたり、もどしたり、勘定も
せず逃げたりするなど、本当に頭が痛い客が多いところだった。

 その日も、酒に酔った客が床に嘔吐した。まず、すぐに片付けることが先だった。ビニール手袋
をはめて、大急ぎで手で嘔吐物を拾い入れた。だが、その姿を、ちょうど入ってきた社長が
見て、私を呼んだ。
 「君、本当に仕事を熱心にやっているな、感動したぞ」
 こう言って、財布から5万ウォンを取り出して、渡してくれた。その日以来、また、客の誰かが
吐かないかと待っていた、というのは冗談で、二ヶ月余り働いたが、多くのことを感じた。
経済的に自分自身の責任を負っている、という胸がいっぱいになる気持ち、一生懸命働いた
対価を受け取ることに対するやりがいなど、金を稼ぐということ、経済的責任を負うということが
たやすくはないということを、その時、かすかにわかったのだ。

 その一方で、両親のことが頭に浮かんだ。両親は若いのに、子どもを育て、私が今
感じているものとは比較もできないほどの責任感を感じながら生きてきたのだから。
私たちは、両親は皆最初から親として生まれたのだと思っているわけではない。彼らも
私のように若い頃があって、徐々に大人の責任感を感じながら大変であっただろう。
貧乏に苦労してきた頃の両親のことが思い浮かばれる。貧困の中でも、二人の子供達を
育てるために最善を尽くし生きてきた両親の姿が。母は、友だちにも会わなかった。
ただ、私達の世話をし、少ないお金でも家計の足しにするために、内職をしようと、
自分のための時間を全く作らなかった。悲しい家族社を持った父も、これまでの人生を
全身で立ち向かい、戦ってきた。今も運転をしている父は、その時も、家族を食べさせる
ため、明け方になれば、重い体を起こし、立ち上がった。貧乏を憎んだことはないが、
両親を苦しめる貧困は憎かった。

 だから、経済的独立は重要だ。その瞬間、誰も両親を憎むことができなくなるから。私は
両親に自分が稼いだ金をすべて渡して、小遣いをもらって使うのだが、こんな私を見て、
いぶかしく考える人もいる。だが、私は、両親が私のために犠牲になって苦労したことを、
すべて恩返ししようとするなら、まだまだだと考える。

 心がけと別に、瞬間瞬間、両親の心を辛くさせる場合がある。 おそらく、世の中のすべての
子どもがそうだろうが。しばらく前に、母が他人の前で、私の間違いを指摘した。だが、母も
私に似て、遠まわしに話すことができず、ありのままに話すので、私がまた苛々した。
小心な私が、わかってはいても険悪な表情で「俺だってわかってるよ」と言うしかできなかった
のだが、それが傷つけてしまったようだ。少したってから、再び話をしながら、落ち着いて
説明をしたのだが、別の時に同じだったら、それでもお前がそんなだったら駄目なんだと
言い聞かせる方に申し訳ないと、母さんが悪いのだと言った
。その時、涙がどっと溢れた。
反省して、また反省した。二度としないようにしよう。両親はなぜ子どもの前でこんなに
限りなく弱いものなのか。
 「こいつ、本当にいなくなったらすっきりするのに」
 子どもを持った親が時々言う言葉だが、その言葉に傷つくことはない。もしや、心にためておいて、
恨んでもだめだ。私がまだ親になっていないので、よくわからないが、親はやはり人であり、
親ではなく人として見ると、彼らの心を理解できないこともない。むしろ、さぞかし苦労したから
そうなのかと思い、そんな言葉を吐かせた自分自身から反省することだ。まだ若い友達が
両親にはむかう姿をよく見る。私の若い頃の姿が思い出され切なくなる。どうかやめて欲しい。
瞬間的に腹が立って、悪口を言う時があるように、親も人だから、そんなことがあるのだと、
一度くらい理解してみたらどうだろうか。お互い弱い人間であるということを理解できなければ、
親も子どもも両方とも寂しい。

 貧困のように、今すぐ解決できない問題、到底回復する道が見えない深い葛藤のようなものも、
自分がまず努力すれば、よい方に向かう。もちろん本当に努力しても、光りが見えず、挫折して
しまうときがあるが、問題が解決する時は必ず来る。私がそれを信じていたように、あなたたちも
信じてみて欲しい。もちろん、その時がすぐ来ることもあり、歳をとってから来ることもあり、両親が
老いて亡くなる直前に来ることもある。だが、その時を待てずに、両親を傷つけたり、その状況を
改善しようと努力しないのならば、確実に後悔する。そして、状況がさらに悪くなるかもしれない。
他のすべての事と同様に、両親、子ども間の問題も、努力しなければ何も良くはならず、
現状を維持するだけだ。だから、努力しなければならない。両親に対してばかり要求するのでは
なく、毎日自ら誓わなければならない。

 両親に対する恨みと、それによる彷徨は、少なくとも両親が健在なうちはやめよう。両親の前で
やめることができなければ、その後悔と苦痛は、死よりもひどいはずだから。

訳 : green
 
文字がピンクになってるところ、今ひとつわかんないんです・・・・・
その前後の部分の原文は・・・・
좀 지나서 다시 이야기를 하며 자분자분 설명을 했더니 다른 때 같으면 그래도 네가 그러면
안 된다고 타이를 분이 미안하다고 엄마가 잘못했다고 하셨다.
「また違う状況で、同じことを繰り返し、その悪いところを他の方が指摘するのであれば、
そのことの方が申し訳ない、他の人が指摘するのであれば、自分(母親)が指摘しなければ」
みたいなことでしょうか。
 
 
親を「ひとりの人間」と捉えると、ずいぶん楽になることがあります。
「そうだよな~~~」って理解できることがあります。
うちの子供たちも、いつか私をひとりの人間、ひとりの女性として、
理解してくれるときが来るのかな~~~~なんて。
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最終更新日 : 2019-06-08

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